プロフィール
比嘉 徹
株式会社THIRD EYE代表(会社16期目、起業20周年)
太陽:魚座、月:双子座、ASC:蟹座
占星術師、コピーライター、DJ
13歳のとき学校に疑問を感じて自主的に
ドロップアウト(不登校)を選択する。
その後、将棋→パンク→DJ→コピーライティング
→占星術→タロット、etc.に夢中になって没頭する。
2012年。
娘の誕生をキッカケに起業家、クリエイター、
アーティスト向けのコミュニティ(エクリプス号)を
スタートさせる。
「人生を自分でデザインし、大好きなことをやって
豊かに生きること」
このテーマを自らを実験台に約30年ほど探究し続けて、
人生ストーリーの宝物をコミュニティメンバーと
分かち合うことをライフワークにしている。
エクリプス号(コミュニティ)でのレッスンテーマは、
起業、ブランディング、ビジネス、占星術、タロット、
ライティング、将棋、パートナーシップ、etc.
起業家×アーティストの異世界交流DJパーティーも
不定期で開催中。
趣味:将棋(アマチュア四段、県代表経験2回)
プライベートでは妻と娘と三人暮らし。
ここからはエピソード形式で詳細プロフィールを書いていきます。
エピソード1:革命家と大和撫子の間に生まれて
エピソード2:学校に疑問を感じてドロップアウトする(13歳)
エピソード3:将棋で県代表になる&家出して一人暮らしをする(17歳〜)
エピソード4:パンクの洗礼を受ける。昼は服屋、夜はDJ時代
エピソード5:インド(ゴア&バラナシ)を一人旅する(24歳)
エピソード6:謎の病気&起業して時給日本一の男と呼ばれる(24歳〜)
エピソード7:不思議なシンクロニシティで占星術&タロットに出会う
エピソード8:自分の会社THIRD EYEを作る&結婚する(28歳〜)
エピソード9:娘の誕生をキッカケにコミュニティをスタートさせる(32歳〜)
興味がありましたら、読んでみて下さい。
エピソード1:革命家と大和撫子の間に生まれて
1980年:太陽が魚座を巡る季節。
革命家の父と、大和撫子の母との間に生を受けました。
父は沖縄生まれということもあり、若い頃から平和について関心を持ち活動に命をかけている「チェ・ゲバラ」のような革命家。
母は看護婦をやりながら父の活動を裏で支えて、家事も育児も笑顔でこなしてしまう宇宙人説もある不思議な大和撫子。
今、振り返ると、
・家族旅行は広島や沖縄の平和集会だったり
・我が家の車にはメガフォンが付いていたり
・お小遣い制度がなく、習い事もなかったり
・長男だけどお下がりを着ていたり
・小学生の頃から新聞配達をしていたり
ホント不思議な環境で育ちました(笑)。
父とはソリが合わずにいつも対立して葛藤も大きかったですが、
・テレビが無料なのはスポンサーがお金を払っているからだ。だから、彼らにとって都合の悪い情報は一切流れないこと
・労働力とは市場で取引される商品であり、給料の金額=労働力の再生産コストであること
・世の中はヘーゲル→マルクスが言うように弁証法的(正反合)に螺旋状で発展していくこと
・資本主義社会というものはお金持ちが絶対的に有利な世界であり、労働者は資本家から搾取されるルールであること
こういった「モノの見方や考え方」を学びました。
母の子育ても変わっていて、あえて言語化すれば、
1:僕と誰か(兄弟など)を比較しない
2:褒めない、怒らない、評価しない
3:兄弟1人1人のいいところ探しの天才
4:僕の人生の課題には入ってこない
5:やりたいことに夢中で没頭すればいい
6:世間体をまったく気にしない
7:母も人生を思いっきり楽しんでいる
こんな感じでした。
僕の中に誰かと比べたり優越感や劣等感が(もちろんゼロではないけれど)あまりないのは母の影響が大きいと思います。
個別コーチングのクライアントさんから幾度となく
「比嘉さんとお話すると不思議と癒されます」
という嬉しい声を頂きましたが、もし僕にヒーリング能力があるとしたら源泉は間違いなく母です。
子供の頃に夢中になったのは、 将棋、手品、なわとび、百人一首、ete.
僕は何かに1度ハマると寝食を忘れて没頭してしまうタイプで、小学生の頃は詰将棋を解くのに夢中になって学校にランドセルを持っていくのを忘れてしまったこともありました(笑)。
エピソード2:学校に疑問を感じてドロップアウトする(13歳)
13歳の時に学校に行かない人生を選択しました。
僕は友達と遊ぶのは好きだったし、学校の先生が嫌いだった訳でもなく
・なぜチャイムが鳴るのか?(せっかく集中してたのに)
・答えがわかっていることを丸暗記する意味は何?
・どうして、みんなと一緒を強制させられるのか?
・いい会社に就職できないと将来大変になるの?
・就職する以外の人生って本当にあり得ないのか?
・そもそも学校は何のために存在するのだろうか?
・なぜ、学校に行かないとダメなんだろうか?
などなど。
学校に違和感があり自分には合わないなと感じていました。
1つ象徴的なエピソードをご紹介すると・・・
中学1年生の美術の時間に「明るい色を描いて下さい」という初歩的な課題がでました。
みんなが赤とか黄色とかピンクとかで明るい色を描いていく中で、僕は黒色のペンを取り出して、
“白色の画用紙の全体を黒色で塗りつぶして、真ん中だけポツンと白色を残したら、コントラストの原理で、それより明るい色はないんじゃないか?”
ってアイデアが閃きました(笑)。
真っ暗な夜空に1点光り輝く星というイメージです。
「もっとも暗い黒色」だけを使って「もっとも明るい色」を表現することが出来たら面白いんじゃないかと感じたのです。
大人になってから起業家の友達に、このエピソードを話したら、
「比嘉さんは中学の時からぶっ飛んだセンスしてたんですね!僕が美術の先生なら5あげますよ笑」
とバカ受けしていましたが、学校の先生には反抗的に見えたのか全く受けなかったようで美術の評価は5段階の「1」でした(笑)。
人生ストーリーの中で僕らは、自分の向き不向きや行くべき方向性を直感やシンクロニシティで受け取っているように感じます。
美術の先生は神様からの使者で
「あなたはこの道(学校に行く人生)は向いていませんよ」
ってお知らせしてくれたのかも知れません(笑)。
中学2年生の始業式で倒れてから、朝学校に行く時間になると不思議と体調不良になり、学校という環境に心と体が拒絶反応を起こして爆発したのだと思います。
この頃は人生に絶望しかありませんでした。
自分の頭がどうかしてしまった感じで気が狂いそうで(いや、もう狂っていた)毎晩マンションの5階のベランダで星を眺めながら、
“学校は何のためにあって、どうして行かないといけないの?全然わからないよ。でもこのまま学校に行かなかったら将来どうなる?まともに生きていけるだろうか・・・”
不安と恐怖の無限ループの絶望状態で、何もかも投げ出したくなりました。
学校がおかしいのか、自分の頭がおかしいのか分からなくなるし、いったい僕はどうしてしまったのだろうか?このままベランダからジャンプしたら楽になれるだろうかと、毎晩そんなことばかり考えていました。
そして、GWの家族会議のときに
1:大好きな将棋を指すこと
2:大好きな本を読むこと
このほうが(自分にとっては)重要で、人生の大切な時間を自分がやりたいことに使いたいと両親に相談しました。
最初はもちろん両親から大反対されました。
イジメを受けた訳でもなく、体も病気じゃないなら学校に行きなさい、と。
ここ数年は「学校には無理に行かなくてもいい」という風潮になって来ましたが、当時(90年代初頭)は学歴社会ど真ん中で、
「学校に行かない人生を自ら選択する」
という子供は皆無だったのです。
僕が冗談ではなく本気で言っていることに気がついてくれてからは「学校に行かずに、やりたいことをやる」という人生の選択を尊重してくれました(だいぶあとで知ったことですが、自殺を選ぶよりいいと思ったのもあるみたいです。)
最初はもちろん大反対されました。
何度も対話を繰り返し、僕が冗談ではなく本気で言っていることが伝わってからは子供の意見だからとバカにせずに真剣に話を聞いてくれました。
ただし・・。
両親は常識的な人生からドロップアウトして「自分の人生を生きる覚悟」として
1:お金の援助は今後一切しないこと
2:家を18歳までに出て自立すること
この2つの条件を提示してくれました。
もしこのときに「学校に行きたいくない?じゃあ行かなくてOK!」って対応だったら、その後の人生で学校に行かなかったことで訪れた数えきれないほどの試練に立ち向かえなかったと思います。
1:お金の援助は今後一切しないこと
普通に学校に通っていれば、普通に就職することもできるし、ある程度安定した人生が約束されている。
その道を自分から断ってリスクのある人生を生きるのだから
・やっぱり高校に行きたいからお金出して!
・専門学校に通うことにしたから援助して!
みたいな甘い考えはNGだよ、と。
何かピンチになったら親に頼ればいいという安易な考えなら、ちゃんと学校に行きなさいという意味です。
2:家を18歳までに出て自立すること
社会のレールを外れて好き勝手生きていきたいなら、いつまでも家にいて親の世話にならず1人で生きていける力を養いなさいという意味です。
結果的には僕は1日でも早く自立したかったのと、父との対立がピークを迎えて17歳のときに家出しました(笑)。
ジブリの「耳をすませば」という映画の中で主人公の雫が学校に行かずにやりたいことがあると言ったら、
「よし、雫、自分の信じる通りやってごらん。でもな、人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。何が起きても誰のせいにも出来ないからね。」
とお父さんが返すシーンがあります。
この映画は僕が学校に行くのをやめた次の年に上映されてシチュエーションとセリフが自分のケースと重なって記憶に残っています。
その後、両親は学校のほうにも、
「うちの子供は学校に行かない人生を自分で選んだので、無理に通わせたりしなくて大丈夫です」
と担任の先生に伝えてくれました。
さらに、僕は弟が2人いますが、彼らに対しても、
「TORUは学校に行かない人生を生きることに決めたよ。もし、お前たちも同じ道を歩みたければ相談しなさい」
と伝えてくれました。
その結果、弟たちは「学校に行く人生」を自ら選び幸せな人生を送っています。
僕は学校に行った方がいいとも、行かない方がいいとも思いませんし、就職もしたほうがいいとも、しないほうがいいとも思いません。どちらかの道が正解なのではなく、重要なのは
「自分で人生を選択したかどうか?」
だと考えています。
結果的に僕はお小遣い制度もなく塾や習い事にも通わず「教育費ゼロ円」でお金は全く掛からなかったそうですが、急に学校行かない人生を生きたい!とドロップアウト宣言したり、普通の子育てでは考えられないような精神的な労力はめちゃめちゃ掛かっていると思います(笑)。
僕にとっての学校は将棋道場と図書館でした。
中学時代のスケジュールは・・・
早朝:毎朝3時に起きて新聞配達のバイト
お昼:図書館へ行って好きな本を読みまくる
夕方:家で詰将棋を解いたり自分でも創作する
週末:将棋道場(たまに県外)に通い腕を磨く
こんな感じで将棋に全身全霊を捧げていました。
※当時、学校をサボって創作した詰将棋
僕が通っていたのは板谷四郎先生(将棋界のスーパースター藤井聡太さんの師匠の師匠の師匠にあたる先生)の「板谷将棋道場」です。
僕が将棋道場に通い出した翌年に四郎先生はお亡くなりになっているので、もし不登校の道を選択しなければ直接将棋を教わるチャンスはなかったと思います。
平日のお昼にも将棋道場に通っていたので、先生は僕がまともに学校に行っていないことには当然お気づきだったと思いますが、学校の話には一切触れずに将棋の指導をして頂き本当に感謝しています。
将棋道場に集っていた人達は
サラリーマンだったり、社長さんだったり、学校の先生だったり、現役を引退された方だったり、フリーターだったり、学生さんだったり、無職の人だったり、普段何をしているか謎の人だったり、etc.
こんな感じでまったくバラバラでしたが、81マスの宇宙(=将棋)が大好きというたった1つの共通点で繋がっていました。
将棋を通じて年齢も社会的なステータスもまったく違う人たちと出会い、境界線を超えて語り合うことができたのは、学校では決して学ぶ事ができない人生勉強になっていたと感じます。
早朝の新聞配達が終わった後は毎日図書館に通っていました。
・将棋コーナーにあった本をほとんど読み尽くしたり
・将棋年鑑の(貸し出し禁止だったので)棋譜をコピーしたり
・将棋の新しい本をリクエストで買ってもらったり
・阪田三吉(伝説の棋士)が活躍した昭和初期の新聞を(コピー禁止だったので)手書きで写したり
僕は自分自身が常識的な生き方が肌に合わなかったこともありアウトローな雰囲気が漂う将棋指しに心惹かれました。
好きな棋士は阪田三吉、升田幸三、小池重明、鈴木英春、etc.
当時は不登校の子供への風当たりが強い時代で、僕は平日の昼間に図書館に通っていたので、「この子は学校にいく時間にいったい何をしているんだろう?」って最初は怪しい子だと思われていたようです。
しかし、毎日図書館に通っていたら「学校をサボっている怪しい少年」から「将棋が大好きな面白い少年」に認識が変わったようです(笑)。
僕の将棋好きを面白がってもらえるようになってから
「もし、新しい将棋の本が読みたかったらリクエストもできますよ」
ってことも教えて頂きました。
この図書館の将棋コーナーにある本のうち50冊ぐらいは僕のリクエストで買って頂いたもので、不登校時代に図書館に通いまくったこともあり、将棋コーナーの棚が2倍ほど増えていました(笑)。
図書館の方には本当に感謝しています。
夢中でやりたいことに没頭していると応援されやすいように感じます。
子供の頃から本が大好きだったこともあって、学校に行く代わりに図書館で「自分が読みたい本を読みたいときに読みたいだけ読む」というスタイルで
カール・マルクス ー 資本論、キューブラー・ロス ー 死ぬ瞬間、ミヒャエル・エンデ ー モモ、宮沢 賢治 ー 銀河鉄道の夜、サン=テグジュペリ ー 星の王子さま、プラトン ー ソクラテスの弁明、ルイス・キャロル ー 不思議の国のアリス、ニーチェ ー ツァラトゥストラ、ヴィクトル・ユーゴー ー レ・ミゼラブル、アガサ・クリスティー ー アクロイド殺人事件、エラリー・クイーン ー Yの悲劇、団 鬼六 ー 花と蛇etc,
哲学、ファンタジー、ミステリー、SM小説、etc.いろいろなジャンルの本を夢中になって読み漁っていました。
僕にとってはの学校は将棋道場と図書館で人生で大切なことを学びました。
エピソード3:将棋で県代表になる&家出して一人暮らしをする(17歳〜)
中学時代の僕は将棋大会に出場することが生きがいだったのですが、高校生の大会に出られないのが悔しくて
1:高校生の将棋大会に出たかった
2:バイト先の選択肢を増やしたかった
この2つの理由で「近未来型グローバルハイスクール」に通うことにしました。
母校の特徴をピックアップすると・・・
・ユニークな校風で日本人だけでなく世界中から国境を超えて生徒が集まっていた
・16歳〜86歳まで年齢もバラバラで上下関係という概念を超越していた
・恋愛を楽しみたいなら最高の環境で同級生にはファッション好きなオシャレな子も超セクシーなキャバ嬢もいた
・学校の先生もGTOみたいな人がいて一緒に教室で麻雀をして遊んだ
・喧嘩はあったけど、陰湿なイジメはなかった
学校の授業は完全フリースタイルで何をやるのも自由だったので、僕は寝てるか持ち込んだ哲学書や小説をずっと読んでいました。
「そんな理想的な学校あるの?」
って思われるかも知れません。
この近未来型グローバルハイスクールは一般的には「夜間定時制高校」と呼ばれていて社会のド底辺という位置付けらしいです(笑)。
個人的には堅苦しい一般的な学校のスタイルが苦手だったので、自分にはピッタリで楽しかった、国境の壁も年齢の壁も超えたダイバシティなコミュニティで未来を先取りしていたと感じます。
僕と父の食卓の戦争はピークを迎えて
父:「そんなに嫌だったら家から出て行け!」
僕:「ああ、こんなクソみたいな家出てくよ!」
と言い返して高校2年生の頃に家出して一人暮らしをスタートしました。
カイジで有名な福本伸行さんの「無頼伝涯」の主人公みたいな生活をしていて友達からは不思議な生活に見えたようです。
“親の世話になっているのに、好き勝手生きたいと言って、そのうえ親の文句ばっかりいっている奴らはくさっている。好き勝手生きたいなら孤立せよ・・・!”
この涯の考え方には心の底から共感して「ざわざわ度数」マックスです(笑)。
・服を着ないで素っ裸で生活してみたり・・・
・目が見えない人はどう世界を見ているのか?興味があったので一日中目隠しをして過ごしたり・・・
・知り合いになったホームレスのおじさんと朝まで人生を語り合ったり・・・
実家で暮らしていたらできないことを全部やり尽くすことができたし、学費や生活費を稼ぐため週6日バイトをしてましたが、誰からも文句を言われない環境は最高に楽しかったです。
当時に家を出て初めて自分の生活力の無さや母が毎日料理や家事をやってくれていたことのありがたさも感じました。
この家出して一人暮らしの経験でメンタルが鍛えられたのか「アマチュア竜王戦」の県大会で優勝することができました。
その年の全国大会は、中学生で代表になった他の県の天才少年がいて、最年少記録は持っていかれてしまいました(違う年度であれば最年少記録だったみたいです。)
同じ時期に別の大会でも県代表になり「高校生の県代表少年」として新聞の取材を受けて某全国紙に少しだけ記事が掲載されたこともあります。
トータルで県代表経験2回、アマチュア四段です。
僕が学校をドロップアウトして人生に絶望していたときの希望の光が将棋でしたし、最終的にずっと目標にしていた将棋大会で優勝して全国大会へ行くという子供の頃からの夢が叶いました。
エピソード4:パンクの洗礼を受ける。昼は服屋、夜はDJ時代
将棋で県代表になったのと同時期に「セックス・ピストルズ」に出会いパンクに夢中になりました。
将棋に夢中になっていた頃にはファッションにまったく興味がなかったのですが、パンクの洗礼後は真夏でも真冬でも革ジャンを着て、足元はいつもラバーソール、鼻にもピアスを開けて、黒いマニキュアを爪につけて、頭は(ついでに下の方も)ビリー・アイドルのような金髪にしていました。
音楽の世界に魅了されてCDではなくレコードで音源をディグりはじめるようになり、僕が生まれて初めて買った思い出のレコードはジョニーサンダース&ハートブレイカーズの「L.A.M.F.」で今でも大切に持っています。
パンクに魅了されたのは音楽やファッションのかっこよさもありますが、それ以上に根底に流れている生き様や精神性です。
Do It Yourself(自分でやろう)という初期衝動でハートの声に従って自分たちでやっちまえというDIY精神は起業家として生きる精神的な支柱になりました。
20代前半は昼間は服屋で夜はDJをやっていました。
影響を受けたアーティストは
セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムド、ラモーンズ、ジョニーサンダース、忌野清志郎、ルースターズ、遠藤ミチロウ、デッド・ケネディーズ、バッドブレインズ、ストレイキャッツ、ロカッツ、ブラックキャッツ、メテオス、ディスチャージ、クラス、etc,
僕は現在起業家向けにブランディングをテーマに講座やコーチングをやっていますが、20代前半の服屋&DJ時代に出会ったアーティストやクリエイターたちからファンから応援されるブランド(=コミュニティ)創りの原点を学びました。
エピソード5:インド(ゴア&バラナシ)を一人旅する(24歳)
初期パンクからスタートした音楽の旅は、ドアーズ、グレイトフルデッド、ボブディラン、ジャニス・ジョプリン、etc,60年代ロックにたどり着きました。
彼らが影響を受けたアレン・ギンズバーク、バロウズ、ケルアック、ヘルマン・ヘッセ、ヘンリー・ミラー、カミュ、etc…ビートニク文学だったり、アウトサイダー系にも傾倒していました。
自然な流れで60年代のヒッピーカルチャーのDNAを受け継いでいるゴア&サイケデリックトランスに興味を持ちました。
Shpongle、Hallucinogen、Goa Gil、Astral Projection、Entheogenic、etc.
パーティの本場は「インドのゴア」で年末のクリスマスから4月ぐらいまでがパーティーシーズンだと友人から教えてもらい数ヶ月後にやるパーティに参加するために
「これはインドに行くっきゃないでしょ!」
って直感で答えが出て、バイト先の服屋に辞表を出してインドへ旅立ちました(笑)。
インドは一言でいえばカオスな国で
・本場のゴアのパーティーで毎晩のようにダンスしたり・・・
・アンジュナビーチでチルしてたら雪が降ってくる夢を見たり・・・
・無免許運転でポリスに捕まり牢屋に入れられそうになったり・・・
・ガンジス河の火葬場で毎日焼かれる死体をみたり・・・
・バングラッシーを飲んで悪夢にうなされ死にかけたり・・・
・インド人にぼったくられまくり所持金ゼロになったり・・・
・インド人にお金を恵んでもらい奇跡的に帰国できたり・・・
いろいろ貴重な人生経験をしました(笑)。
現在僕は占星術やタロットを生業にしていますが、タロットに興味を持ったのはゴアで出会った世界を旅するバックパッカー占い師です。
彼女が興味深かったのは、
「世界中を旅しながら、お金がなくなったら、タロット占いで稼ぐのよ」
ってライフスタイルです。
ゴアのパーティーでダンスしている時はこの世の天国だと思ったし、バラナシの火葬場で騙され全財産を失ったときは、この世の地獄だと思いました。僕のハートがオープンなときと、閉じているときで出会う人や起こるイベントがどんどん変化していくのを感じました。
インドで見たものは結局は自分自身だったのかも知れません。
エピソード6:謎の病気&起業して時給日本一の男と呼ばれる(24歳〜)
インドから日本に帰国後に謎の病気で廃人状態になりました。
近所のコンビニにですらレジに並ぶと頭がクラクラして倒れてしまうので、誰もいない真夜中に何とか行ける感じ。
「うわー、もしかしたらインドでヤバイ病気でも、もらって来たのかなー」
不安が脳裏をよぎりました。
MRIを何度も受けたり、血液検査も繰り返し徹底的に全身検査を受けても原因不明でいつまで経っても体調復活の兆しはなく、ゴールの見えないマラソン状態。
シド・ヴィシャスよりは長生きな人生だったけれど、ジム・モリソンよりは短い人生だったなと24歳で本気で死を覚悟しました。
インドへは貯金ゼロでまったく準備せずにバイトを辞めて勢いで出発してしまったので帰国後もバイトすればいいと軽く考えていたのが大誤算でした。
神様があまりにも好き勝手生きている僕を見て、
「TORUくん、そろそろお金について真剣に学んでみてはどうですか?」
そんな“愛のビンタ”を食らわせたくなったんだと思います(笑)。
☆レコードオークション編
親との約束でお金を借りることはできないし、このままだと冗談抜きで生きていけないので、服屋&DJ時代に人生を捧げてきた服やレコードをヤフオクで売ることにしました。
これが僕の起業のスタートラインです。
最初の数ヶ月間はコレクションを売ることで何とか食いつないでいましたが、すべて売り尽くしてしまいました。
僕は幸いなことにDJをやっていたので、ロック系のレコードならある程度目利きができたので、レコード屋で仕入れたり、本格的に古物商の免許を取ってネットで買取もスタートしました。
次に「DJがオススメするパンク&ロックの名盤」というコンセプトでメルマガをはじめて自分のヤフオクのブースや買取サイトに誘導する作戦も実行していきました。
これが生まれて初めて書いたメルマガ(メールマガジン)です。
☆アマチュアのための将棋上達法編
僕は何かを仕入れて販売するよりも、大好きなことをテーマに文章を書くことにワクワクすることに気がついて、次に「元県代表が教えるアマチュアのためのオンライン将棋上達法」というテーマで情報発信をスタートしました。
この講座は口コミで500人以上集まって
「将棋上達法講座のバックナンバーを有料で売って欲しい」
と言われて文章をマネタイズする事にも成功しました。
この将棋上達法講座(メルマガ)は僕が言葉の力やコピーライティングを学び実践した原点ですが「最初のファンが目が見えない読者さん」だったことが一番の思い出です。
僕がメルマガを配信する度に音声認識ソフトを使って感想メールを送ってくれたり、数え切れないほどのやりとりをする中で
「コピーライティングは文章力ではなくコミュニケーション力である」
このもっとも基本的な(しかし、ほとんどの起業家が忘れがちな)大切なことを教えてもらいました。
☆コピーライター&コンサルタント編
将棋上達法やDJメルマガで情報発信をしていく中で起業家の人たちとのご縁が生まれました。
そのうちの起業家の1人が僕の文章を気にいってくれて
「今度セミナーを開催するんですが、販売ページの文章のお手伝いをして頂けませんか?」
と声をかけてくれて、これがコピーライターになるキッカケです。
当時(2005年頃)は日本でコピーライターを生業としている人はほぼ皆無でした。
コピーライティング教材やセミナーもほとんど存在せず、日本にダイレクトレスポンスマーケティングを持ってきた神田昌典さんのカセットテープを(まるでパンクのレコードのように)夢中になって聴きまくった思い出があります。
海外のコピーライター&マーケッター達からも大きな影響を受けました。
僕は英語はまったく分かりませんが、辞書を片手に日本語に翻訳して彼らのメールやレターを寝食忘れて読みまくっていました。
特にジョン・カールトンやゲイリーハルバートやシュガーマンのストーリー型のレターやフランクカーンのマスコントロールの動画プロモーションはワクワクしました。
この頃は「女2割コピーライティング8割」で、彼女とデートして遊ぶよりコピーを書くことのほうが楽しかったのです(笑)。
当時の起業やコピーライティングの教科書では、
・ホットマーケットを見つけ出しニッチを狙う
・ライバルと差別化できるようなUSPを作ろう
・そうすれば業界でライバルに勝ちナンバーワンになれる
・アンケートを取って顧客の悩みを聞いて解決策を売る
・リストを集めて、リストを教育して、リストに売る
こういった「ライバルに競争で頑張って勝つための起業&ライティング論」しか存在しませんでした。
ゴリゴリ説得するスタイルは自分にはどうしても合わないな、と。
僕は海外のコピーライター達から多くのことを学びましたが、日本人には文化的に合わない部分があるし、服屋やDJ時代に学んだブランド論をベースに
「人生ストーリーを“ブランド化”して大好きなことをやって豊かに生きるための
“この指止まれ”ライティング」
このテーマをずっと実践&探究してきました。
“コピーライターは言葉のDJ”
DJはアーティストとオーディエンスをつなぐキューピッドで、コピーライターもクライアントと読者をつなぐキューピッドであり、セールスレターはラブレターだと感じます。
最初はコピー1枚10万円からスタートして20万、38万、50万、100万円とアップしていきコピーライターだけで生きていけるようになりました。
僕が実際にコピーを書いたことがあるジャンルの一部をご紹介すると・・・
将棋、占星術、タロット、DJパーティー、起業、PPC、SEO、SEX、ヨガ、ネットショップ、美容、ダイエット、短眠法、ブランディング、英会話、健康、アパレル関係、サプリメント、恋愛、集中力アップ、競馬、PR、矯正歯科医向けのセミナー、カイロプラティック、ヨガ、筋トレ、学習塾、スピリチュアル、フットサル、自己啓発、メール配信スタンド、コピーライティング、投資全般、記憶術、コーチング、視力回復、レコード屋のチラシ、スピーチ原稿のシナリオ、etc.
その後、コンサルタントとしてクライアントさんに「アドバイスをした」ジャンルも含めるともっと多岐に渡ります。
完全成果報酬のフルコミッションスタイルに移行してからは
・1プロモーションで報酬が1000万円」を超えるようになったり、、、
・1文字も変えることなく、5年以上売れ続けるセールスレターを書いたり、、、
・毎月のコピーのライセンス収入だけで働かなくても生活できるようになったり、、、
ちょっとしたセミリタイア状態で自由なライフスタイルを手に入れることができました。
この頃、友人の起業家(人知れず億を稼ぐバックエンドフィクサー)が飲み会の席で酔っ払いながら
友人:「比嘉さん、1ヶ月でどれぐらい働いてますか?」
比嘉:「うーん、平均で3日ぐらいかな。0日の月もある」
友人:「え?まじっすかー、で、ぶっちゃけ今月いくら稼ぎました?」
比嘉:「今月は1200万ぐらいだったよ」
友人:「マジ?比嘉さんより時給が高い起業家は知らないし日本一なんじゃない?」
こんな流れで“時給日本一の男”というキャッチコピーをもらいました(笑)。
(このときはクライアントさんのバックエンドのプロモーションをやっている最中でその数字になっただけで毎月3日間労働で1200万を稼いで悠由自適のセミリタイア生活をしていた訳ではありませんし僕は成果報酬でやっていたのでクライアントさんはそれ以上のリターンを受け取っているということです。)
実際には(当然ながら)僕より時給の高い人は世の中にたくさん存在しますが「自由なライフスタイル」という意味でコピーライターは非常に興味深い生き方だと感じます。
最初はコピーライターとして活動していましたが「アドバイスだけでもお願いできませんか?」と言われたことがキッカケでコンサルもはじめました。
インドから帰国後ずっと悩まされ続けていた謎の病気も起業が軌道に乗って安定していくのに合わせて落ち着いていきました。
今、振り返ってみると・・・
・服屋&DJ時代にアーティストやクリエイターからブランドの本質を学んだこと
・将棋上達法講座で目の見えないファンからコピーの極意を学んだこと
・小学生の頃からプロパガンダや大衆煽動や戦争のメカニズムなど「人を動かす言葉の力」に興味があったこと
今まで夢中になって没頭してきた(一見するとまったく関係がない)点と点が線として繋がったことが、コピーライター&コンサルタントとして成功できた大きな要因ではないかと思います。
神様からの試練「自分の力でお金をしっかり稼ぐ」というミッションを無事果たすことができました。|
エピソード7:不思議なシンクロニシティで占星術&タロットに出会う
占星術に興味を持ったキッカケは彼女(今の奥さん)から
「TORUくんは占い師向いていると思うし、占星術とかピッタリなんじゃない?」
と言われたことです(笑)。
僕が1対1で深い哲学的な対話をするのが好きだったり、クライアントさんから起業やビジネスの枠を超えて「人生相談」を受ける機会が多かったのを側でみていて、占い師の資質があると感じたみたいです。
インド1人旅のときに興味を持ったタロットも同時に活用しはじめました。
個人的にはタロットカードは
1:創造力
2:想像力
3:直感力
この天才性解放ツールだと感じています。
タロットカードは人類の叡智を魂の22枚のストーリーとして“絵文字”で描いた「1冊の書物」であり、無人島に持っていく「たった一冊の書物」を選ぶとしたら僕は迷わずタロットを選びます。
占星術に魅力を感じたのは、
「ホロスコープは世界にたった1つで、そこに優劣は存在せず、どれもが美しくユニークである」
という世界観です。
僕は従来の学校が提示する「みんなで同じ人生を目指して競争する生き方」が肌に合わず「自分の人生をデザインする生き方」を理想だと感じていました。
13歳で学校をドロップアウトしてからずっと探求してきた人生哲学と占星術の世界観がシンクロして、将棋やパンクやコピーライティングと同じように夢中になっていきました。
ユングは「占星術は5000年の歴史を持つ心理学である」と言っていましたが「占星術は人類5000年の叡智であり最高のクリエイティブツールである」って感じます。
僕は一般的な「吉凶占い」ではななく
「世界でたった1人のユニークな唯一無二のあなたのブランド(そして、人生)を世界でたった1つのホロスコープをヒントにデザインしていく」
「人生デザイン占星術」というものを提唱しています。
あなたが地球という素晴らしい星にやってきた瞬間の星の配置から
1:どんな神様が〜(10天体)
2:どんな服を着て〜(12サイン)
3:どんな舞台で〜(12ハウス)
4:どんな会話をしているか(アスペクト)
この世界でたった1つのホロスコープを作り、シンボリックな星の物語をロジックとアートを融合させてリーディングしていきます。
人生を自分でデザインしていきたい人向けに
・あなたは本来ユニークな唯一無二の存在である
・誰かと競争する必要はないしライバルは存在しない
・ホロスコープは世界にたった1つしか存在しない
・あなたはあなたの人生を生きることが大切である
・ブランドとは自分は誰かを“思い出すこと”である
こんな感じでコミュニティメンバーやクライアントさんが自分らしく生きるために占星術を活用するというテーマでセミナーやコーチングをしています。
もし興味があれば、あなたの世界でたった1つの美しいホロスコープを作って内なる星と対話してみてくださいね。
エピソード8:自分の会社THIRD EYEを作る&結婚する(28歳〜)
起業が軌道に乗ってきたこともあり会社を作ることにしましたが、資本金1000万とかでは普通過ぎてワクワクしないので
トールの日(10月6日)10時6分。資本金106円。
こんな冗談みたいなホントの株式会社を作ることにしました(笑)。
会社のロゴのモチーフは「セックスピストルズ×日食」です。
現在(2024年1月現在)で会社を2008年に創業してから16年期目で起業してからは20周年を迎えることができました。
起業家の間では昔から有名な会社の生存率(成功率)として
・1年後に残っている会社40%
・5年後に残っている会社15.0%
・10年後に残っている会社6.3%
・20年後に残っている会社0.3%
みたいな説があります。
実際は僕の周りの友達の起業家やクライアントさんたちを見てみると、もっと生存率は高いのではないかと感じますが、かなりの数の会社が創業してから10年持たないケースが多い中でここまで続けてこれたのは本当に運がいいと思います。
この頃プライベートではインドのゴアやバラナシからラブレターを書き日本へ帰国後から付き合っていた彼女と結婚しました。
当時の僕はお金はもちろん職すらもない、まったくのゼロ状態で一人暮らしをしていた彼女の家に居候させてもらったり人生最大のピンチを支えてくれた命の恩人です。
僕らのパートナーシップは変わっているとよく言われます。
結婚前から「もし今後お互いに彼氏や彼女ができたとしても尊重して応援しよう♪」という話をよくしていて、結婚(バンド活動)はいつ解散してもOKだけれど、一緒にいて楽しいから組んでいる感じで
1:結婚はしても幸せだし、しなくても幸せ
2:離婚はしても幸せだし、しなくても幸せ
3:子供はいても幸せだし、いなくても幸せ
このようにソロ活動(独身)でもバンド活動(結婚)でも、どっちでも幸せを感じることができるパートナーシップ論で21世紀のオスメス進化論と2人で勝手に呼んでいます(笑)。
エピソード9:娘の誕生をキッカケにコミュニティをスタートさせる(32歳〜)
娘の誕生をキッカケにエクリプス号と名付けた船(コミュニティ)をスタートしました。
船のコンセプト(=旗)は、
「人生を自分でデザインし、夢中になってやりたいことに没頭して豊かに生きていこう!」
です。
船でのレッスンは、僕の人生ストーリーの宝物である「起業、ブランディング、ビジネス、占星術、タロット、ライティング、将棋、パートナーシップ」などの講座や個別コーチングです。
起業家とアーティストの異世界交流を目的にしたDJパーティーも不定期で開催しています。
※松本零士先生デザインの船で新年会パーティーも開催しました。
エクリプス号は人生を自分でデザインしていきたい起業家、クリエイター、アーティスト向けの超マニアックなコミュニティです。
クルー(参加メンバーさん)の顔ぶれを見てみると・・・
元メジャーアーティストの起業家、ハーブ&アロマの研究家、DJ、東大出身投資家、食のスペシャリスト、占星術師、ピアノの先生、恋愛マスター、凄腕コンサルタント、学校や塾の先生、リアル店舗の経営者、お医者さん、性の伝道師、人気セミナー講師、黎明期から人工知能(AI)に携わる研究者、スピリチュアル前世ヒーラー、コピーライター、言葉の研究者でありアーティスト、WEB3時代の最先端を走るクリエイター、小説家、タロット占い師、絵描きさん、海外でも活躍しているアーティストやデザイナー、etc.
ユニークなメンバーさんたちが集結してくれました。
僕は広告やアフィリエイトなど一切しておらず、SNSもほとんどやっていないのでこのユニークなメンバーさんたちとは、ほぼ100%既存のメンバーさん達からの純粋な口コミの連鎖でご縁が生まれました。
この場を借りて、お礼申し上げます。
エクリプス号のコミュニティメンバーさんに僕(比嘉)の印象をお聞きしたところ・・・
・人情味溢れる宇宙人
・SF世界からやってきた未来人
・不思議でミステリアスな謎の人
・永遠の少年…?イルカに乗れそう、
・不思議オーラマックスのフィクサー、
・ドラえもんの4次元ポケットのような存在
・30年先くらいの生き方・考え方をしている方、
・こんな人という枠で表現するのが不可能なアーティスト、etc.
って素敵なメッセージを頂きました(笑)。
僕の一番の自慢はあらゆるジャンルのユニークな旅人たちがエクリプス号という不思議な旅をしている船(コミュニティ)に集ってくれていることです。
今年(2023年)で船を出港して11年目。
これまでは広告やSNSやアフィリエイトなどやらずに、超アンダーグラウンドな活動をしていましたが、今後はもっとオープンな活動をしていきたいと思います。
最後に・・・。
今の時代は(コロナ禍が続き戦争もあったり)全体的に暗いニュースが多いです。
ネットを観てもテレビを観てもどこをみても暗いムードが漂っていて「未来は明るい」と言っている人は非常に少ないように感じます。
僕らがこのカオスな時代を楽しむために重要なことは「この真っ暗な時代に、人生をどうデザインするか?」だと思います。
時代がキャンパスなら、僕らは絵描きのようなもの。
個人的には何か新しいものが生まれる直前の不思議でカオスな雰囲気が大好きで、クリエイティブな新しいムーブメントが生まれる前夜のワクワク・ドキドキ感を味わうことができるのは幸運なことだと感じます。
僕らの手で「新しいムーブメント」を共同創造して行きませんか?
カオスな時代は真っ暗闇の中で光を灯すリーダーが求められています。
いい学校、いい会社、老後は年金暮らし・・・という当たり前とされる従来の常識的な生き方に疑問を感じて、
「人生を自分でデザインし、やりたいことに没頭して豊かに生きる」
そういった新しい時代の生き方に興味を持ち、子供のように夢中になって目を輝かせている起業家、アーティスト、クリエイター的な人たちが僕は大好きだし、新時代のリーダーになると確信しています。
このテーマは13歳からの僕のライフワークでもあります。
もし、あなたがカオスな時代を僕らと一緒に楽しむことに興味がありましたら、エクリプス号(コミュニティ)に参加してみてくださいね。
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あなたといつかお会いできる日を楽しみに・・・。